真面目・不真面目という言葉の使い方


 とある会合で、主催者の方のブログが最近めっきりパパブログになっているのを冗談半分にネタにしたところ、わたしから「不真面目である」との指摘を受けたように受け取られてしまいました。そりゃ主張系エントリを増やせとか消すなとか言いましたけど、別に不真面目なんて言ってないんですけどねえ。

 
 以前にも真面目って何?って話を塾の経営者としてて、でも酔っ払ってたこともあってあんまり議論にならなかったんですけど、その後帰り際に「お前は真面目すぎる」とか言われちゃったり、この競輪吉外がですよ。


 このようにすぐ真面目・不真面目という言葉を使いたがる人は多いですけど、わたし思うに、この形容詞って、その対象を明示せずに使ってもしゃあないんじゃないかと。競輪のデータを徹底的に分析して毎日競輪ばっかりやってる人は真面目です、競輪に対してね。今日小倉ナイターで番手の仕事をしっかりしたあげくにどこにもいなくなった疋田敏は真面目です、ライン競輪においてはね。しかしルールには不真面目でしょう。疋田の頭で勝負していたわたし的には難しいところです。ジャンが鳴ったらすっ飛んで行ってラインを引き出すものの自身はいつもズブズブに沈む逃げ屋はどうか。それを信頼する客やラインの仲間に対しては真面目でしょうが、選手はすべからく1着を目指すべしという建前からは不真面目と言えます。


 このように真面目・不真面目と言うのは相対的で、視点を変えればどうとでも言えるのですから、対象を明示せずにこういう言葉を安易に使う人は言葉に対して不真面目であると考えます。あるいは真面目・不真面目という言葉の概念が小学生レベルのままなのでしょう。しかし、三番手の安福じいさんにまで明らかに気を使ったレースをした上でド本命の逃切りスジを決めた小嶋敬二さんはどこからどう見ても真面目なのかもしれません。わたしも珍しくこんな安い三連単にいっぱい張って、今日の負け分全部返してもらいましたし。