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北京五輪:自転車 永井選手、ケイリン初メダル 堂々、先行逃げ切り(毎日)
幼いころに芽は出ていた。叔父の永井明彦さん(53)によると、小学校に入学する前、家から5〜6キロの道のりを三輪車をこいで母の勤務先まで会いに来て周囲を驚かせた。
表彰台を下りた後、先輩の伏見俊昭選手(32)から「おめでとう。前回(アテネ五輪)の悔しさを晴らせたな」と声をかけられた。永井選手は「そうですね」と答えた。
永井らしすぎです。
永井銅メダル!日本発祥ケイリンで初の快挙(スポーツ報知)
加藤は「僕はメダルを取れると思っていた。あの異様な落ち着きは並じゃない」と興奮しながら弟分のメダル獲得を喜んだ。
慎平はきっと取材にも、「ハンパねぇ!」を連発していたことでしょう。
永井、ケイリンで悲願メダル獲得!/自転車(サンスポ)
ケイリン選手15人がアテネ五輪後に設立し、永井のために『闘心=心と闘う』と命名。中でも05年「KEIRINグランプリ」覇者で永井が尊敬するリーダー役の加藤慎平(日本競輪選手会)が親身になって相談に乗ってくれた。
慎平も株を上げましたね。アニマル浜口みたいにいっしょにテレビ出ればいいのに。
「彼は無口だが信頼できるナイスガイ」。マニエ監督は永井のことを話すとほおが緩む。
厳しいと評判のマニェですけど、永井が一番繋がり強いですもんね。ロンドンでは名実ともに日本のエースでしょうか。
ケイリン永井選手「銅」 美濃歓喜!ミラクルだ(中日岐阜版)
五輪の自転車競技のメダルは、96年アトランタ五輪千メートルタイムトライアルの十文字貴信の銅メダル、04年アテネ五輪チームスプリントの銀メダルに続く3個目で、日本自転車史に名前を刻んだ。
ロスの超特急を忘れてません?
賞金なげうって思い結実=永井選手「挑戦者の気持ちがメダルに」〔五輪・自転車〕(時事)
五輪に向けて本業のレースには出場せず、その期間の賞金はゼロ。9月から復帰する予定だ。
休業補償が1000万出て、グランプリ出場で最低ウン百万もらえて、報奨金がウン千万でます。
伏見俊昭「永井が頑張ってくれたのはよかった。自分としては調子がよかったので残念。五輪に出ることは、もうないと思うのでこれで代表から引退します」
敗者復活戦でトゥルナンに直マークされたのがしんどかったですね。これからは山ちゃんの番手でいい思いをしてください。
プロの意地 鮮烈ダッシュ アテネで代表外され 悔しさ闘志に(東京新聞)
だが、フランス人のフレデリック・マニエ氏が日本チームの監督に就任し、五輪再挑戦に心が傾いた。国際大会に出場していた高校三年生の永井選手を有望選手の集まるスイスの強化施設に呼び、育てた恩師でもあった。「十カ月間、全部面倒を見てくれた。この人ならついて行ける」
永井は慎平といいマニェといい、よい兄貴分と指導者に恵まれましたね。こういうのは相性もありますけど、それもバッチリだったんでしょう。
「まさかメダルを取れるとは思わなかった」と驚きを超え、半ば戸惑っている様子だった。
連盟がこれではJKAも似たようなもんでしょう。これからうまいこと広報してくださいよ!
五輪ケイリン:永井清史が銅 日本選手初メダル(毎日五輪速報)
準決勝第2組、出走した6人中2人が交錯して転倒。
6人中2人の落車は大量落車でしょう。Bank of Dream先生のエントリーまだー?