日本プロスポーツ界におけるストの前例

昭和63年12月 日本競輪選手会は、選手数の削減・選手の三層九班制の見直しを要求し、12月28〜30日の立川競輪グランプリ開催の先頭誘導員の契約留保をちらつかせた。
協議は難航をきわめたが、開催当日の28日の明け方にようやく合意に達し、グランプリ中止の事態は回避される。


翌平成元年10月20日 日本競輪選手会は、来年度賞金の大幅増額および地域格差是正を日本競輪施行者協議会に求める。
12月5日 29億円増額の回答を選手会は蹴り、前年と同様の先頭誘導員契約留保戦術をさらに年明けの大宮記念にまで拡大して展開
12月15日 選手会が来年度賞金100億円増額の要望を提出(平成元年度賞金は387億円)
12月20日 通産省が両者に話し合いを要請
12月25日 通産省車両課長、立川市開催執務委員長、全国競輪施行者協議会、日本自転車振興会自転車競技会全国協議会による対策会議の場で、グランプリ開催の中止が決定
翌1月8日 通産省車両課長の裁定案を選手会、施行者協議会が受諾し決着


バブル崩壊前夜のお話でした*1
野球のストの本当のところはどうなのか分からないが、競輪のストはファンを一瞥もしていないのがよく分かる。

*1:平成10年の1月にも、松坂競輪場で前日の雨敢闘賞(降雨手当)の扱いをめぐって誘導員ストが発生。この時はすでに客を場内に入れた後のストだったため、大騒動となった