夕方のドラマ


 一ヶ月ほど前、ちょうどJRA競馬のG1シリーズが始まった頃、たまたま見かけたブログにこんなことが書いてありました。

競輪・競艇はやらないけど、競馬はやります。競馬にはドラマがあるんです。


 確かに競馬のG1シーズンになれば、競馬中継に限らず一般のスポーツニュースや予想特番においてもサラブレッドのドラマだロマンだと連呼されています。でも、もう少し想像力を働かせてみてください。お馬の競走にドラマがあるのであれば、人間の競走にドラマがないわけがないでしょう。


 競馬にドラマがないとは言わない。しかしそれは競輪のドラマとは異質なものです。よくわたしは「競馬はファンタジー競輪はハードボイルド」と人に説明します*1。馬自体の「ドラマ」はまったくよくできたファンタジーだし、調教師や騎手や馬主のドラマも、馬という人智の及ばない生き物をつけ加えることでファンタジー性を帯びます。競輪は生身の人間のみの世界です。3分間の、とても饒舌とはいえない淡々としたレースの中に、生の裏切りや挫折や欲望や人情が過剰に表現されます。別に優劣をつけようというお話ではありません。予想の仕方やビジュアル面なんかを別にして純粋にドラマ性だけを比較すればこういう違いがあるというだけのことです。客は、より好みなほうを打てばいい。


 ・・・なんてことを、岸和田チャリオンカップの表彰式を観ながら考えていました。優勝したのは携帯所持の咎で1年ちょっと干されていた手島慶介。すべてF1ながら今年すでに5回目の優勝です。表彰式でも一瞬たりとも笑顔を見せることはなく、「ファンの皆様にご迷惑を・・」「車券に貢献してファンの皆様に恩返しを・・」と繰り返しています。ひょっとして手島は客の目の前で詫びるために全国のF1を転戦して優勝を重ねているのではないか・・・という妄想すら浮かびました。いよいよ次は2003年のオールスター以来の特別競輪に参加します。初日から1着獲って、全国ネットでお詫びできるといいな。


 ところで優勝戦は、手島が逃がされて直線沈んだり笠松信幸が捲り追込んだりする車券を買っていました。笠松も来月斡旋が止まるようなのでここは捲りで優勝しか考えていないはずとの読みです。しかし前受けから他のラインに周到に下げさされた笠松は、前段の牽制をかいくぐって打鐘4角気持ちよくカマシ。あのままの位置ならばスローペースを7〜8番手から捲る苦しい展開になったはずですから、斡旋が止まる前のレースで悔いを残したくなかったというところでしょうか。もしあのまま8番手不発に終わっていたら、ハードボイルド小説の大家である北方謙三先生ならばきっとこう野次を飛ばしたことでしょう。


「ソープに行け!」

*1:ついでに言うと、競艇定型詩オートレーススチームパンクです。