なぜ競輪ブログのエントリやコメント欄には予想やウタが多いか


 一昨日のエントリのコメント欄で出たお話です。


 いっぱい書いたんですけど、どんどん脱線してしまったので消して端的に言うと、競輪って的中したときの喜びが他の公営ばくちよりも大きいからじゃないですかね。「喜び」をもっと具体的に言うと「全能感」。全能感を得れば、人間ですから人に自慢したいものです。


 勝ったときの全能感は、ギャンブル依存症の原因のひとつと言われますから、博打であればどんなものにもあります。競馬にも競艇にもパチンコにもルーレットにもあります。ただ、擬似社会たるラインを含めた人間そのものの有りようを予想しなければならない競輪の場合、予想を的中させることは、自らを、人間を完全に見極めることのできる人間より高次の存在…つまりに押し上げる(ように錯覚させる)作用があるのではないかと。これこそまさに全能感そのものです。あ、だからといって競輪の予想行為が他の公営博打よりも高尚であるというわけではないですよ。感覚の問題であって。*1
 
 
 しかしこの仮説も、競輪の人気がないという一事をもってもろくも崩れ去るような気がしないでもないです。

*1:でも、阿佐田哲也を始祖とする競輪優位論も表題の理由になるかもしれませんね。