物語を純粋に物語として消費しない(できない)競輪客


 昨日の寛仁親王牌勝戦北日本の分裂と群馬勢の結束が好対照でなかなか興味深いレースでしたね…買ってないから言えることかもしれませんけど。北日本のアレに関してはすでにいろんなところで書かれていますのでここでは触れませんけど、後閑は今回の優勝についてそれとは対照的なことを語っています。ニッカンの記事より↓

同県の先輩、後輩という関係や、過去の恩、そしてラインを重んじる競輪道。後閑にとって最も重要視するものだ。今シリーズ、手島とは4日間で3度連係し、すべて前を任せ3番手を回った。勝つためなら後輩を3番手に回してもおかしくない。少しでも前に位置したい短走路だが、「手島はいつも前で頑張ってくれている。だから筋を通して前を任せたい」。競輪道の精神からは当然のことだった。手島も「後閑さんには選手になってからずっとお世話になっているので、いい恩返しができた」と話す。「筋を通してから勝つというのは奥深い」(後閑)。競輪独特の深いきずなと、勝利を信じるファンの期待に応えるという2つの挑戦に勝った。


 いやー、北日本に対するあてつけかと思うほどにええ話ですなあ。群馬も近年いろいろありましたけどね。仲良く結束するのも決別するのも、人間がラインを組んで(or組まないで)走る競輪ならではであります。このような競輪は様々な物語を生むはずで、その物語の量は他の公営ばくちより多くなることはあっても少なくなることはないと思うのですが、なぜだかあんまり客は盛り上がらないような気がします。ネットでも罵詈雑言を浴びせることは多いですけどね。これはなぜでしょうか。


 ひとつには競輪の物語を伝える媒体が少ないことが挙げられるでしょう。これには二つの側面があります。広報費やらなんやらの関係でスポーツ新聞などで競輪を扱えるスペースが限られていることと、あとは胴元側が選手の話をあまり出したがらないことです。後者に関しては近年、オフィシャルサイトにレース後コメントが載るようになるなど改善されつつありますが、コンドルの社長が日記で時々書いているように、取材制限のたぐいもまだまだあるようです。要するに発表する情報を胴元側が管理したいんでしょうね。


 もうひとつ、これはまさに競輪というばくちそのものに由来する理由ですけれども、競輪の物語はほとんど車券予想に繋がってしまうということが考えられます。ライバル物語でも友情物語でもたいていそうです。いやまあ、そこが競輪の面白さなんですけどね。濃い競輪客ほど、物語を物語として消費するのはほどほどに、それを車券の予想資料としてストックしてしまうわけです。


 ただ、物語を物語として盛り上げることは、大衆消費社会においては、一時ほどではないにせよ重要なポイントではあります。公営ばくちにおいてこれの最大の成功例はオグリキャップでしょうか*1。競馬ブーム生み出し、JRAの新規客獲得に大いに貢献しました。それに対して車券の予想資料は、それが結果としてオッヅに反映されることではあっても、基本的には客個人の中で完結することです。客コミュニティの増大にはあまり繋がりません。


 物語が予想に直結する競輪の面白さはそのままにこの点をなんとかしようと思えば、もっともっと大量の物語を胴元や競輪メディアが供給する必要があります。グランプリポイント制はそういう試みの一つだったと思いますけど、中途半端でしたし、結果的には戸辺英雄と池尻浩一の思い出作りにしか役立たないことになりました。客のほうはやっぱりグランプリの権利争いを予想資料にしかしませんでしたしね。ささいなことでもいいからどんどん大量の物語を出して欲しいです。競輪にはそのリソースは十分あるはずです。選手自身がブログ等で情報を発信するのにも期待したいと思います。たいていの選手は肝心なことは書いてくれませんけど、たまには気前のいい選手もいてますしね。今日もサイトで先行封印宣言をした人がいましたけど*2、こういう話も含めてどんどん出してもらいたいものです。まあ、旧来からの客は結局のところそれを予想資料にするだけですけどね。
 

*1:ハイセイコーは、生まれる前なので分かりません

*2:毎度のことなのでまたすぐ解禁するかもしれませんけど