KEIRIN化に反対する(?)理由その3〜ホンネとタテマエ


KEIRIN化に反対する理由その1〜スピード化について
KEIRIN化に反対する理由その2〜タテだけのKEIRIN

KEIRIN化に反対する理由その2.5〜ルールと事故



 KEIRIN化するとライン戦も競輪道も失われてしまうのでしょうか。賛成派の人達はそんなこと折込済みで賛成してはるんでしょうし、わたしも以前、KEIRIN化と競輪道について書きましたけど、最近は完全にはなくならないんじゃないかと思っています。なぜなら日本人がやってるから。


 競輪は、ホンネとタテマエの混在した実に日本的なレース競技です。一番典型例なのが…

競技規則では

第11条  選手は、暴走、過度の牽制等をしてはならず、勝利を得る意志をもって全力を尽くして競走しなければならない。


 とありますが、選手が他人の勝利を導くために走る場合もあることはドロドロ競輪客の皆様のご存知の通りです。吉岡を背負った不動会の若い衆(大塚を除く)が自分の勝利を得る意思を持って走っているとは思えません。*1。その辺、客の間でも賛否両論ありますが、ルールの実際の運用を見ると結局は黙認に近い形になっています。というか事実上定着しているので認めざるを得ない。興行ですし。


 KEIRIN化すれば牽制や、鉄砲玉のような暴走行為は御法度になるのでしょうか。スピード化を大義名分に挙げてるんだったら二段駆けという形態は残しておくべきだと思うんですけど。チンタラしたスプリントレースにならないってことですし。というかライン戦自体消滅するんでしたっけ?


 もしルールでライン戦が否定されても、ライン戦は残ってしまうのではないかと考えています。最初にも書きましたけど、日本人がやってるから。ウェットな部分を完全に排することはできないのではないか。ただ、牽制などヨコが制限されますから、残るのは暴走に当たらない程度のギリギリの二段駆けのような形だけかもしれませんけど。そしてそれは、今の競輪のように客にも審判にもある程度認知された形として現れるのではなく、突然稀に現れます。原則はタテマエが支配する競走になるからです。いわば、ライン戦がアングラ化して残るということです。


 万が一もし、KEIRIN化によってスポーティに生まれ変わった競輪を観に新規客が押し寄せたとしますと、彼らは突如目の前で展開されるライン競輪の亡霊に困惑するでしょう。今でもときどき競輪のことを八百長だの言う人が居ますが、タテマエとの乖離は今より激しくなりますから八百長度は現在の比ではありません。せっかく呼び込んだ新規客は嫌気がさしちゃうかもしれませんねえ。ただ、我々のようなライン戦にどっぷり漬かっていたドロドロ競輪客はうまくライン競輪の出現を読んで、最初のうちおいしい思いができるかもしれません。


 ところで、世界選手権なんかのKEIRINの勝ち上がり戦において、勝ちあがり条件の2着キープが確実となった選手が前を抜きに行かずに最終直線で踏むのを止めちゃうケースがよくありますが、KEIRIN化万歳の人達はあれをどう思ってるんでしょうね?

*1:腹の底では自分が勝ちたいと思ってるのかもしれませんが、話がややこしくなるのでそこまでは踏み込みません