歴史はそもそも主観的なものである

図書館で『競輪四十年史』と『競輪五十年史』を借りてくる。
二冊借りたのは、OPACで検索したら『四十年史』のほうが大幅にページ数が多かったからだが、これは『五十年史』は、統計資料等を別にCD-ROMにまとめてあるからだった。かと言ってこの重たい本を即書庫に戻してもらうのも司書さんに申し訳なく思い、両方持って帰った。
両方の目次をパラパラめくって気がついたこと・・・『四十年史』は、『三十年史』以後の十年を詳述する前半部分と、発祥以来の通史部分の二部構成になっている。これは『競輪○十年史』の通例らしい。前半部分は、売上げが落ちてきたこの十年の分析と対策に多くページを割いている。『五十年史』は節目ということもあり、通史のみの構成。『四十年史』以後、加速度的に売上げは低迷したのだが、それについての記述はほとんどなく、施策や出来事を章ごとに箇条書きにしているだけ。ちゃんと現状に対する危機意識があれば、こんな歴史は書けないと思うのだが・・・。『競輪六十年史』は果たして発行できるのだろうか?