あるべき競輪場の姿を考える(2)

2年前まで私が根城にしていた西宮競輪場は、特別観覧席を作って2〜3年で廃止の憂き目にあった。西宮競輪最後の日、挨拶に出て来た市長は、いつも場内にいるやる気のなさそうな警備員より10倍は強そうな数人の護衛に囲まれていた。今でも、競輪客が暴徒と化すことを恐れているのだ。当然のごとく市長は、その日出場していたどの選手よりも大きな罵声を浴びていた。
香川に帰ってきて何度か高松競輪に足を運んだが、スタンドから野次が飛ぶこともあまりなく実にのんびりしている。高松や観音寺の競輪場では、勝った選手のお国の民謡がレースごとに流れることになっていて、それものんびりムードに一役買っている。場内の食い物も西宮とはずいぶんちがう。西宮の定番はホルモンやお好み焼きだが、高松では当然うどん。
中央競馬と違って、競輪は各場の施行者はあくまで自治体であり、また施設の所有者が民間企業のところもあるから、競輪各場は結構特徴がまちまち(それは多くの場面で「足並みが揃わない」弊害となるのだけど)。そして、公務員の人事異動による継続的な経営戦略の無さと、昭和の頃の儲けによる慢心で、一部のやる気の有る競輪場以外は結果的に昭和の空気を色濃く湛える施設及び客層になっている。
かつて、「ギャンブルは不況に強い」と言われた。先行きが見える不況には強いかもしれない。が、不安感しかない閉塞した不況下では、とても弱い。射幸心は不安感に打ち消されてしまう。もしあと数年で景気が大好転しても、一旦離れた客が戻ってくるとは限らない。どうせ無くなってしまうなら、無駄に改修したり無理に時代に媚びようとせずに、開き直って昭和のエキゾチズムを前面に押し出したらどうだろう?観音寺や奈良の競輪場は、その辺のえせレトロテーマパークよりもレトロ感ははるかに濃厚だ。向日町なんかは、京大西部講堂と並ぶ京都の二大昭和文化遺産だと思うのは・・・私だけですねすいません。そういえば、透明ケースの中でジュースが噴水になっている昔なつかしのジュースの販売機が日本で最後まで残っていたのは向日町競輪場だった。
中高年向けには赤瀬川原平あたりにうまくまとめてもらうとして、若者向けにはどこぞの編集者が菊地成孔を競輪場に連れて行って、銚子の歓楽街やブルースに絡めた文章を書いてもらって・・・以下妄想は続くがこの項終わり。