お彼岸ダービーを前に先祖を偲ぶ


前回松戸ダービー(2001年)の全レース結果(データプラザより)


特別の一次予選は番組屋の裁量が最大限に活かせるからすんなりとしたスジ決着が多く、取り易い、というのがわたしの持論だけど、この前回の松戸ダービーでは一次予選15個レース中スジ決着は2本のみ。333の松戸ゆえ、後方からの大外強襲がズバズバ決まるというわけはもちろんなくて、前にいないと勝負にならないバンクだから、浮き駒や、目標選手が売り切れたマーク屋が先行の2番手3番手を厳しく攻め、直線も中割りを多用した結果。おかげで落車失格も多かった。この年の一次予選は二分戦が多かったということがそもそもの要因だから、これが今年も当てはまるとは限らないけれど、二分戦の勝ち上がり戦があれば変な穴に注意。選手のモチベーションにバラつきのでる負け戦は安いスジが多くなる。


もちろん松戸ゆえ、逃げ切りは多い。ちなみにこの年優勝したのは稲村成浩。前年末から急に強さが戻って、ダービーを獲ったらまたすぐにしぼんだ。



うちのご先祖様は江戸末期、いわゆる農村博徒貸元*1だったそうです。わりと大きなシマを持っていたようで、お抱え力士が何人もいたとか、かの有名な勤皇博徒の日柳燕石とシマを接していたとか言い伝えが残っております。しかし、江戸末期〜明治初期にかけて、大没落。財産は大坂からやってきた人達にほとんど持っていかれてしまったとか。


じいさんによると、「博打で負けたげな」そうですが、うちの直接のご先祖は没落後に養子先から急遽戻ってきた方ですし、じいさんの口ぶりからも、没落の事情がはっきりとは伝わっていない感じ。胴元たる貸元が博打で負けるというのはちょっと考えにくい。明治初期には博徒の大弾圧があったそうですから、それにやられたか・・・あるいは燕石のように私財を投げ打って、どちらに付いたかはともかく戊辰戦争に参加したか。後者ならば汚名返上!と思い、以前郷土史を徹底的に調べたのですがそのような事実は見当たらず。結局は、しなくてもいい勝負をしてスッテンテンになったというだけのことかもしれません。


末裔であるわたしもいらん勝負をして負けることが多いので、そうであればまあ一応合点がいくというもの。しかしご先祖様が付いているおかげか、わたしは高松・観音寺の現場競輪では今まで2回しか負けたことがありません。場外発売ではよく負けます。海上までは御加護が届かないようで、丸亀ボートでは勝った試しがありません。

*1:親分みたいなもん