混沌と猥雑ディスクガイド2 遠藤賢司「輪島の瞳」を聴く

不滅の男

不滅の男


 競輪場は他の公営博打場よりも猥雑な感じがいたしますが、その要因のひとつは激しい野次の存在でしょう。では、競輪場にはなぜ野次が多く発生するのでしょうか。


 物理的理由として、スタンドと走路の距離が非常に近く、またエンジンのように轟音を発するものがないため、博打の駒に野次が聞こえやすいことがあげられます。そして、こちらの理由のほうが本稿の肝なのですが、競輪のレースそのものが野次を誘発しやすいということを忘れてはならないと思います。競輪のレースには脚力だけでなく、選手の性格、心の強さ弱さ、人間関係など、人間の内面的部分が色濃く反映されます。それらの内面は格好の野次対象なわけです。味方を裏切って勝った選手には、勝っても野次が浴びせられますし、逃げ屋を徹底ガードして沈んだマーク屋は、野次と、同じくらいの賞賛を浴びます。


 そのような人間の内面が反映される競輪を八百長と呼んで毛嫌いする人は今も昔も多くいらっしゃいます。好みの問題で片付けてもよさそうなものですが、そういう人には遠藤賢司の「輪島の瞳」を一度聴いてもらいたいものです。15年ほど前のライヴ盤『不滅の男』に収録されているこの曲は、元横綱輪島大士のプロレスデビュー戦の描写から始まって、プロレス論、人生論にまで至るまさにエンケン大宇宙としか呼びようの無い、25分の大作です。今ではアメプロやハッスルの人気によってそんなことを言う人は減りましたが、プロレスも以前は八百長八百長と言われていました。そんな意見に対するエンケンさんの返答が、8分54秒あたりから始まります。

プロレスがショーで八百長だから
なんてエラソーにしたり顔する奴に限って
何もわかっちゃない・・・何も出来ない、多分これからもわかりはしない・・・
だってほらみて御覧・・・他人にニッコリこんにちは・・・ひとつどおか宜しく
なんて頭を下げる毎日のクセして・・
それが八百長でなくて何て言うんだい???
だから他人の八百長をけなす奴は俺は一生信用しない。
本音で生きている奴なんていたら、俺はおめにかかりたいね。
本音で生きるって事はナイーブでナイーブで・・・もうとっくに死んじゃってるよ
それが本音ってもんだろ!
だってホラみなよ、死にたい時だってあるだろ?
じゃあ死ねよ。それが本音だ!糞ッタレ!


 わたしは競輪が八百長と呼ばれるがゆえに競輪を愛しています。安易な自己投影を許さない、ドロドロとしたリアルさがあるからです。ライン戦による競輪こそがリアルであり、また、強力二段駆けを超人的な捲りで捻じ伏せるレースに感動するのも、談合ライン相手に1人で挑むという構図があるからです。さて、明日からまた競輪が始まります。


 ツールやジロは熱心に観るくせに競輪を八百長とけなす奴を、わたしは一生信用しない。