競輪客は偉いのだ


 電投空にしてからというもの、日記カテゴリに入れていても純粋に日記じゃなくてコラムカテゴリに近いものになってることが多いですが、コラムはワンテーマのある程度の長文、日記は短かったりテーマを設定してない文章という感じで勝手に区分しております。もっとも、書いてみると長くなってしまうことも多いので厳密な区分ではありません。


 こちらのエントリで少し話題にした競輪客の自尊心問題ですが(笑)、自分の経験からも、競輪を打つという行為には知的虚栄心やある種のスノビズムを満たす作用があると思います。そういう作用が現れるのは知的虚栄心やスノビズムを元来持っている人に限られるでしょうけど。

 
 というわけで上記のような属性を持つ人に競輪を薦めると結構成功率は高いと思われます。これも経験上のお話。もちろん、「あんたは見栄っ張りだから競輪打つといいよ」などと言ってはいけません。競輪の面白さを、もっと大衆人気のある(ここ重要)他のばくちと比較しながら論ずればよいのです。ここで注意しないといけないのですが、相手が知的虚栄心旺盛であってもすでに他のばくちの客であるときはこの手は絶対に使ってはいけません。きっと相手も意地になって自分のばくちの優位を論じだし、中野浩一並みに不毛な議論になることでしょう。


 若い客が競輪場に来ない、と施行者も憂競輪の徒も嘆息して久しいです。その理由としてちょっと思ったんですけど、最近の若い人って昔の若者よりも知的虚栄心があまりないんじゃないですかね。もちろんバカになったとかいうことじゃなくて、というか逆に知的虚栄心旺盛な人は周りにとってうざいことのほうが多いですから、よいとか悪いとかは一概には言えません。ただ、競輪に適性のあるそういう若者が減ってるのではないかなあと。


 そういう時代に対応するにはやはり競輪よりも、スピードを最重要視したKEIRINですか。そうなると、日自振をはじめとする関係団体の迷走にも関わらず競輪を見捨てずに踏ん張っているスノッブ達はいったいどうなるんでしょ。