老人福祉施設としての競輪場

 だいたい夜22時には寝てしまうわたしですが、一昨日寝れたのは日が変わって1時過ぎ。なんでかと言いますと、うちのばあさんが老人会の旅行に行ってまして、そのバスが21時半に町役場に着くということでお迎えのために駐車場の車の中で待機しておりましたのですが、バスがなかなか来ないんです。最初のうちは、こういうこともあろうかと思って持参していたライトで手元を照らしながら本など読んでたんですけど、光量の少なさに疲れてウトウトしていたらバスが到着したのは0時を少し回ったところでした。しかし着いたら着いたでなんせ平均年齢が80歳に達しようかという集団ですから、バスからなかなか降りて来られないんですね。宿便のごとくじわりじわりと押し出されてくるわが町のお年寄りたち。降りてきたら降りてきたで真夜中にも関わらずお別れの挨拶が長い長い。あなた方旅行中散々だべってたでしょうに。そんなこんなでわたしは疲れましたが田舎のお年寄りはほんまに元気ですな。聞けばこの日は12時間以上バスに乗っていたとか。

 
 田舎のお年寄りは元気でコミュニケーションも盛んですが、先日NHKの「ご近所の底力」など見ておりましたら都会の団地なんかでは年寄りの孤立化が進んで孤独死も珍しくないとか。孤独死という言葉を初めて聞いたのは阪神大震災仮設住宅によって地域コミュニティが分断されそれが相次いだ頃ですが、今はなにもなくても普通に起こる現象になりつつあるのですね。ちょっといわく付きですがこんな新聞記事もありました(参照)。


 若者の非コミュも問題は問題ですけど、健康不安があったり新しいことに取り組む熱意の起きにくい老人の非コミュはもっと問題ですね。そういうお年寄りを競輪場が受け入れられないものでしょうか。競輪場にはお年寄りが佃煮にするほど多いですから、すんなりと入って行きやすいと思うんですけどね。しかもみんなすぐ仲良くなりますし。非コミュな老人に心身ともに好影響を及ぼすことは間違いありません(財布はどうなっても知りませんけど)。

 
 問題はその契機をどうやって作るかですよね。広報戦略的に、おおっぴらに同年輩が多いから寄っといでとは言いにくいですよね。若者に敬遠される副作用がありますから。ほんとは、細木数子に「競輪やらないと地獄に落ちるわよ!」とか、みのもんたに「競輪やると脳の老化が防げる」とか言わせたら効果的なんでしょうけど。老人向けメディアを利用して老人だけに届くようにメッセージを送らなければなりません。


 非コミュ老人予備軍の団塊世代向けにはいろいろなメディアがあります。本屋に行けば団塊世代のリタイア後のライフスタイルを提案するムック本などが溢れていますし、この手の雑誌もあります。そういうところに老人に特化した企画広告を載せるとかすればどうでしょうか。こういうメディアなら普段は目をつぶりたくなる競輪客の平均年齢*1を多いに宣伝に利用できます。さらに活き活きと競輪を楽しんでいる年寄りのインタビューなんかを織り込んでですね。


 まあこれ以上年寄り客ばかり増やしてどうするのかという疑問もないことはないですが、四の五の言ってられない状況ですからね。非コミュ年寄りが競輪で閉じこもりから脱却できれば競輪のイメージアップにならないとも限らないわけですし。個人的な意見ですが、年寄りの多い競輪場はわびさびや独特の空気があって嫌いではないです。

 

*1:50代半ば