哀戦士たちへ

 朝、フィードリーダーの競輪フォルダを開いたらあきさんとこのエントリタイトル「悲しいけど、これ競輪なのよね」が目に入りました。それから朝の仕事中、ニコ動で「おっさんホイホイ」タグを愛用するわたしの脳内では「哀戦士」がリピート再生され続け、時には涙が落ちました。アホ、と笑わば笑え。

 こんな書き方は不適切なのを承知で書きますが、なんでこんなに悲しいんだろう。わたしもそれなりにおっさんなので、親類縁者の死にもそれなりに立ち会っています。大学時代、こんなわたしを一番慕ってくれていた後輩は車に轢かれて亡くなりました。ひっそりと自ら命を絶った友人もいます。去年も、うちに遊びに来た帰りに友達*1が川に落ちて亡くなりました。

 それらの悲しみと同等かそれ以上の悲しみを内田慶の死に感じています。金網越しの付き合いしかなく、しゃべったこともないのに。いろいろ考えましたが、わたしは競輪客はもちろん競輪選手にも戦友意識を抱いているという結論に至りました。だからきっと「哀戦士」を脳内でかけて泣くのでしょう。内田には結婚して間もない奥さんがいたんですってね。

 競輪選手は己の美学とか名誉とか金のために、競輪そのものもその存続を賭けて、出口の見えない長い戦いを戦っています。競輪客はもちろん命の次に大事な銭を文字通り賭けて。競輪場という戦場ではこのように様々な戦いが展開されています。 その中で戦友意識が芽生えることはありえることでしょう。特に内田は、番手の美学を体現するような選手でした。

 その内田の葬儀は15日に行われるそうです(参照)。オールスターは参加選手が多いですから途中帰郷する選手も大勢います。もうすでに帰ってブログを書いている選手もいます。葬儀にはオールスター帰りの選手もたくさん参列するのでしょう。もちろん、一宮で決勝戦をはじめとする最終日のレースを戦う選手も大勢います。宇都宮まで参列に行けない競輪客は、各々の地元で、本場で、電投で戦うのみです。悲しんでいる暇はありません。電投空かつここ2,3日仕事が忙しかったわたしも最終日はなんとか都合をつけて高松場外で戦うつもりです。内田の香典をどーんとはずんで、満中陰志を10倍返しで頂きたいと思ってます。

 悲しみにくれるすべての哀戦士たちに、遠藤賢司のこの歌を贈ります。


 最後に、内田慶に関してたくさんコメントを頂きましたが、コメントレスをしないでごめんなさい。なんだか記帳にレスするみたいで、どうしたらいいか正直分からないんですよ。

*1:80過ぎたおばあさんですが