競輪マンガのこれまでとこれから(終)


 競輪らんどに『Odds』第二回目のみどころが掲載されていました。この企画に日自振がかなり肩入れしているのはよく分かりますが*1、この告知になんの意味があるのでしょうか。競輪客にヤンサンを読んでもらいたいのか。ひょっとしてヤンサンのサイトに「『Odds』の予告はコチラ」なんて競輪らんどにリンクが張ってあるのかなとも思いましたが(そうであればナイスなタイアップなのですが)そういうわけでもないみたいです。まあいいや。


 昨日までのおさらいですが、競輪マンガのレース描写について、人間関係を含めた選手の内面をリアルに描きこみ、複雑なレース展開に反映させる「ギャンブルレーサー型」と、内面は分かりやすいものだけに絞って、派手な描写でレースを表現する「必殺技型」のふたつのタイプを指摘しました。そしてそれぞれに一長一短がありました。


 この両タイプの違いは選手の内面をどう扱うかに起因しています。では、選手の内面をリアルに追及するか、単純化するかしか方法はないのでしょうか。


 ここで競輪マンガのこれまでとは違う方法論を提示したいと思います。この方法論をうまく活かせば、ある属性を持つ読者は猛烈に食いついてきます。どうするかと申しますと、内面に、リアルさを求めるのでも単純化するのでもなく拡大解釈を加えるのです。正確に書きますと、読者の拡大解釈を促すような描写にするのです。


 分かりやすい例を挙げますと・・・。小倉竜二と佐々木則幸はよく連携しますが、連携すると、佐々木は積極的に仕掛け、小倉は佐々木を徹底的にガードします。ここでギャンブルレーサーならば佐々木と小倉のそれぞれの打算*2が書き込まれるわけですが、そうせずに、両者にはなにか特別な関係があるのではないかと読者に妄想解釈させるようなセリフを言わせます。


 競輪選手の世界には師弟関係やラインの関係、ライバル関係などさまざまな人間関係が広がっています。それら全ての関係を、特別な関係を類推させる材料に使えます。競輪はこの方法論に有利な題材なのです。ただ、うまく妄想解釈してもらうためには、客にハゲだのブタだの野次られるようなキャラ*3ではいけませんし、劇画タッチの絵でも不都合です。優しいタッチの絵で、選手はなるべく美男子に描くのがよいでしょう。


 日自振はマンガによる競輪のアピールを図るならば、この方法論のほうが有効ではないでしょうか。出来ればマンガだけではなく、経費が安くて済むテレ東深夜枠でいいですからアニメ化するのがよいでしょう。この方法論の有利な点はもうひとつあります。この方法論で描かれたマンガが一定程度ファンの支持を集めますと、ファンが二次創作物によってさらに宣伝してくれるのです。そうしてマンガがヒットしますと、日自振の悲願であった若い女性客の獲得が大いに期待できます。また、この方法ならば、「必殺技型」のようなマンガと現実とのギャップが生じません。読者は妄想解釈を楽しんでいるので、現実のレースも妄想解釈を加えて楽しんでくれることが期待できるからです。*4是非ご一考を。


 もっとも今回話を聞いた専門家によりますと、この方法論を採っても、競輪場がもうすこし明るくならないと集客までには至らないのではとのことでした。



このエントリの企画協力/妹(腐女子歴14年。現在兼業主腐)  

*1:ギャンブルレーサーとはえらい違いです

*2:佐々木ならば逃げたほうが優出固いだろう、小倉ならば佐々木を残したほうが決勝戦で有利に戦える、など

*3:例:ギャンブルレーサー

*4:現実の選手のルックス問題はひとまずおいといて